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1990年度の「ミス日本」の東京代表(グランプリではない)[2]に選ばれる。受賞の翌月、1本500万円の出演料[3]で『大和撫子タマの腰』でAVデビュー。日本版トレイシー・ローズと呼ばれたボディスタイルと美貌、持ち前の明るいスケベっぷりで、ダイヤモンド映像専属女優の中でもトップクラスの人気を誇った。芸名は村西とおるの発案による。 ダイヤモンド映像と関連会社では20本余りの作品に出演したが、活動期間がダイヤモンド映像が経営破綻していく時期と重なり、支払われたギャラのうち3,000万円を村西に貸したまま踏み倒されたと告白。ワイドショーや週刊誌などが大きく取り上げるスキャンダルになった。[4] その後はグラビア活動を行っていたが、ダイヤモンド映像の監督だった日比野正明の仲介により1993年にクリスタル映像でAVに復帰。6本のビデオに出演したのち、業界から完全に引退した。[5][6] なおトレイシー沙貴という別名でビデオが発売されたという情報が散見されるが、裏ビデオでしか使われておらず、公式リリースは全て卑弥呼名義である。 デビュー時のプロフィールは「1970年6月7日生まれ、長崎県出身、血液型A型」 [7]で、他にも複数のプロフィールがあったが、その後本項冒頭の形となった。